アート・ペッパーの『You’d Be Nice to Come Home To』を聴く。【4コマ漫画付き記事】

JAZZあれこれ

ここはとある町の喫茶店。

レコードを聴きながら今日もマスターはつぶやく。

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【4コマ漫画】喫茶店マスターのつぶやき13

『You’d Be Nice to Come Home To(ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ)』の解説

『Art Pepper Meets the Rhythm Section』(1957年録音)は、ウェストコースト・ジャズを代表するアルト・サックス奏者アート・ペッパーの最高傑作として知られています。

その冒頭を飾る『You’d Be So Nice to Come Home To(邦題:帰ってくれたらうれしいわ)』は、アルバムの中でも特に印象的な1曲です。

実はこの邦題、長年にわたり誤訳とされてきました。原題を直訳すると「あなたのいる家に帰って行けたら、どんなに素敵だろう」という意味です。つまり「私があなたのもとへ帰ること」を想像して歌う、恋の切なさを表した言葉です。

ところが邦題では「帰ってくれたらうれしいわ」と訳され、「相手が帰ってくる」あるいは「もう帰ってほしい」という真逆のニュアンスに聞こえてしまうようになっています。

1950年代当時、アメリカのポピュラー・ソングが大量に輸入される中で、文脈より語感を優先した邦題がつけられることは珍しくなく、この曲もその典型といえます。今では、この誤訳がかえって時代の味わいとして語られるほどです。

さて、演奏面に目を向けると、ペッパーのこの曲での表現はまさに圧巻です。録音が行われたのは1957年1月19日、ロサンゼルスのコンテンポラリー・スタジオ。

共演したのは、当時マイルス・デイヴィス・クインテットで活躍していたリズム・セクションであるレッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)の3人。東海岸のハード・バップの精鋭たちと、西海岸を代表するペッパーの邂逅という、奇跡のセッションでした。

しかも、ペッパー自身の証言によれば、この録音の予定を知らされたのは当日朝。譜面もリハーサルもなく、完全に即興で挑んだといいます。その緊張と興奮が、音に生々しく刻み込まれています。

『You’d Be So Nice to Come Home To』でのペッパーは、出だしから情熱的です。軽快なスウィングの中で、乾いたアルト・トーンが鋭く立ち上がる。ウェストコースト的な明晰さと、東海岸の黒い熱気が見事に溶け合っています。

ガーランドのピアノが柔らかくコードを支え、チェンバースのウォーキング・ベースが重心を作り、フィリー・ジョーのドラムがシンバルで軽やかな推進力を与える。3人の呼吸が完璧に噛み合う中、ペッパーはまるで何かを取り戻すように吹きまくります。

アドリブの中盤では、テーマの甘い旋律をもとに、感情をほとばしらせるようなフレーズが次々と繰り出されます。繊細でありながら、どこか焦燥感を含んだブロウは、まるで「あなたのもとに帰りたい」という切実な想いが、音となってあふれ出しているかのようです。演奏が進むにつれ、その情熱はやがて穏やかな温もりへと変わり、曲は静かに幕を閉じます。

この1曲には、アート・ペッパーというアーティストの全てが凝縮されています。技巧の完璧さよりも、むしろ感情の生々しさが前面に出ており、同時代のクール・ジャズとは一線を画する熱量があります。

そして、誤訳された邦題が奇しくも示す「すれ違い」や「伝わらなさ」は、ペッパーの人生そのものとも重なって見えてしまいます。この演奏は、曲のテーマである恋人への想いと重なりながら、ペッパーが音楽という原点に立ち戻ろうとする回帰の衝動を感じさせます。再び楽器と向き合うことで、自らを取り戻そうとする彼の姿が浮かび上がります。

当時のペッパーは、麻薬依存と服役によって長く音楽の現場を離れていました。そんな彼が再びサックスを手にしたこのセッションは、失われた時間を取り戻すための最初の一歩でもあったのです。音を吹くたびに、過去の過ちや喪失を越えて、自分の居場所へ帰ろうとする意志がにじむ。『You’d Be So Nice to Come Home To』には、再生へ向かうその瞬間の緊張と希望が確かに刻まれています。

4コマ作者

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商業誌での受賞経験あり。
約1年間Web連載の漫画原作(ネーム担当)経験あり。
2019年よりフリーで活動中。
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