ディジー・ガレスピーが語ったビ・バップが名付けられた出来事

JAZZあれこれ

どうも、ズワイガニです。

今回は、ビ・バップが名付けられた時のことをディジー・ガレスピーがインタビューで回想していたので紹介します。

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ペティフォードとの双頭バンド

1940年代半ば、五十二丁目とハーレムがジャズの中心地として賑わってきた頃、ディジーはビリー・エクスタイン楽団を辞めて、オスカー・ペティフォード(b)と双頭バンドを結成します。

そして、五十二丁目にオープンした『オニックス・クラブ』のオープニングを飾ることに。

この日の夜をディジーは「ビ・バップ誕生の記念すべき夜」だと考えています。

ディジーは、ハーレムで作ったビ・バップが初めて正式に完全に理解された形でプレゼンテーションできたのがこの時で、メンバー全員がビ・バップの語法を理解して演奏していたのは、この『オニックス・クラブ』のハウス・バンドが最初だったと自負しているとインタビューで語っています。

その時のメンバーは、ディジー(tp)、オスカー(b)、ドン・バイアス(ts)、ジョージ・ウォーリントン(p)、マックス・ローチ(ds)でした。

しったかJAZZ博士
しったかJAZZ博士

ディジーは当初、サックスはチャーリー・パーカーに加わって欲しかったそうじゃ。そして、パーカーのいるカンザス・シティに電報を送ったがなんの音沙汰も無かったそうじゃ。

ドラムスはマックス・ローチなんですよね。

ディジー曰く、当時マックス・ローチはケニー・クラーク同様、ドラムスでビ・バップを語れる一人だったそうですよ。チャーリー・パーカーらとのセッションを重ねて徐々にビ・バップのスタイルを習得していったそうです。

ビ・バップが「ビ・バップ」と名付けられた瞬間

ディジーのバンドは『オニックス・クラブ』でたくさんのオリジナル曲を演奏していました。

しかし、曲にタイトルはなくイントロとテーマができると、すぐに本番で演奏するということをやっていました。

そのため、ディジーが次の曲をメンバーに知らせるときは、「ディ・ダッパ・ドゥ・ン・デ・バップ」というようにメロディをスキャットして伝えていました。

そんなある日のこと。

新聞でディジー・バンドの演奏が取り上げられます。

そこには曲名の代わりに「ビ・バップ」という言葉が使われていました。

それもそのはず、誰も曲名を知らなかったため、新聞記者はディジーのスキャットの一節から「ビ・バップ」という言葉を聞き取り、採用したのだと思われます。

これが「ビ・バップ」が活字になった初めてのことでした。

これがきっかけかは分かりませんが、この頃からジャズ・ファンの間で「ビ・バップ」という言葉が使われるようになってきたという。

そこでディジーは、このタイミングで「ビ・バップ」の決定的な演奏を曲にしたいと思い、すごくテンポの速い曲を作りました。

そして、この曲をレコーディングした時にディジーは閃きました。

「そうだ、この曲こそビ・バップそのものではないか」と。

心のテーマ曲のつもりで名付けたこの曲こそが、『ビバップ』であります。

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