どうも、ズワイガニです。
私が初めてジャズをジャズと認識して聴いたのは、マイルス・デイヴィスがクリスマスに録音した『バグズ・グルーヴ』でした。
初見で聴くジャズがモンクの演奏だったので衝撃だったし、マイルス・デイヴィスがセロニアス・モンクに「わしのソロ中は弾くなよ」とか言ってるしで、「なにこれ!ジャズっておもろいんか!?」ってなったのを覚えています(笑)
今回は、そのマイルス・デイヴィスのクリスマスでの録音のようすをお届けします。
1954年のクリスマスセッション
1954年のクリスマスにこの伝説のセッションは行われました。
レーベルはプレスティッジ。
メンバーは、リーダーのマイルス・デイヴィス(トランペット)、セロニアス・モンク(ピアノ)、ジョン・ルイスを除いたMJQ(モダン・ジャズ・カルテット)の3人、ミルト・ジャクソン(ビブラフォン)、パーシー・ヒース(ベース)、ケニー・クラーク(ドラムス)でした。
なぜMJQのジョン・ルイスは省かれたのか…
それはプレスティッジの社長、ボブ・ワインストックがジョン・ルイスのピアノを毛嫌いしていて、代わりにセロニアス・モンクをメンバーに加えたというのが理由でした。
モンクを選んだのはワインストック社長の人選によるもので、マイルスの人選ではありませんでした。この人選により事件は起こるのでありました。
モンク、後輩のマイルスにソロ中は弾くなと言われる
当日、スタジオで顔合わせしたモンクに、マイルスは以下のように言いました。
「モンクの作曲『ベムシャ・スイング』以外はトランペットソロの後ろで、絶対にピアノを弾かないでください。」
モンクはジャズ界の大先輩。モンクにもプライドがあります。
「俺のソロ中は弾くなよ」と言われているわけですから、かなり来るものがありますね…。
ここはグーーーッと堪え、「もしマイルスが殴ってきたら、ヤるつもりだった。」と後に語っています。
しかし、勘違いしてはいけないのが、マイルスはモンクを軽蔑していたわけではないということです。
マイルスはモンクについて次のように語っています。
「もし私が1945年、ニューヨークについて間も無くモンクに出会わなかったら、皆さんがおっしゃるように急速に進歩するようなことはなかったでしょう。モンクは私にヴォイシングとコード進行を示してくれました。また、チャーリー・パーカーは、いつも私をモンクの出演場所に連れていき、共演させてくれたものです。」
ジャズ・レビュー誌 1958年12月号
別の雑誌でこのセッションについても語っています。
「モンクは絶対にリズム・セクションの一員になり切れる人ではありません。私は彼の演奏が大好きですが、ソロのバッグでは邪魔になります。」
ダウン・ビート誌 1958年7月号
セッションはどうだったのか
このような出来事があり、緊迫した空気の中で行われたセッションは、全員が全力を出し切るというものすごい演奏となりました。
こちらがその時の『バグズ・グルーヴ』です↓
モンクさん、テーマ中もピアノをまったく弾いてませんね。
テーマが終わってマイルスのトランペットソロがあり、言いつけ通りにミルト・ジャクソンのビブラフォンソロから弾き始めています。
その次にモンクのソロですが、この曲でジャズに遭遇した私は驚きました。
まったくの音楽素人には途中まるで幼稚園児が弾いているかのような箇所があり適当にみえる演奏は、しっかりとコード進行に則って演奏されていて、モンクのスタイルとして認められていることがすごいと思ったのが私のジャズとの出会いでした。
セロニアス・モンクのアドリブが続かない曲が収録されている
このセッションでは、ハプニングもありました。
『ザ・マン・アイ・ラブ』のテイク2で、モンクがソロを中断してしまうシーンが収録されています。
まずはテイク1を聴いてみてください。
5分26秒あたりからモンクのソロになります。
6分00分あたりで数秒伴奏だけになりドキッとしますが、弾き切っています。
次にテイク2を聴いてみてください。
4分54秒あたりからモンクのソロになります。
5分26秒あたりからベースとドラムの伴奏のみが延々続きます。
弾いているうちにだんだん胸糞悪くなってきたらしいのです。
みかねたマイルスが演奏を続けるべくトランペット吹き始めると、慌てるようにモンクが再び弾き始めてソロを完奏します。
という感じで、テイク2は緊張感のある雰囲気にざわめきが走る聴きごたえのある1曲となっています。
おわりに
結局、マイルスとモンクが共演をしたのはこの時の1回のみだったといいます。
『ニューポートのマイルスとモンク』というアルバムがありますが、これは別々の演奏をカップリングしたものなので、ご注意ください。
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