ビ・バップのピアノ奏法を確立したバド・パウエルとはどんな人物?

スタディー

どうも、ズワイガニです。

ピアニストとして偉大すぎるバド・パウエルは、精神的な病気に悩まされた。

今回はそんなバド・パウエルの半生について調べてみました。

 

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バド・パウエルがピアニストとして独立するまで

バド・パウエルは、1924年ニューヨークに生まれ、父はバンドリーダーでした。

6歳からピアノを習い始め、15歳にジャズに興味を持ち始めました。

1941年〜43年には、『ミントンズ・プレイハウス』を始め、ニューヨークのクラブのジャムセッションに参加していました。

そこで、セロニアス・モンクのピアノを聴き、ビ・バップが誕生しようかという時にジャズを習得したといいいます。

 

1943年〜45年には、クーティ・ウィリアムス楽団に所属しました。

この時、モンクが1942年に作曲した『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』をパウエルの提案で、1944年8月にクーティ・ウィリアムス楽団で録音しています。

これがこの曲の初録音で、モンク自身が録音する3年も前のことでした。

※のちに『ラウンド・ミッドナイト』とも呼ばれるようになります。

 

その後、パウエルはソロピアニストを志し、独立します。

 

バド・パウエルの最盛期と二度の精神病院

この頃からパウエルは、あかん薬に溺れ、精神病に苦しむようになります。

そこで、2ヶ月半精神病院で療養することに。

回復したパウエルは、ファッツ・ナヴァロやデクスター・ゴードンといったミュージシャンたちとレコーディングしています。

1947年11月に精神錯乱のため、再び精神病院で1年間療養。

退院後から51年までは最盛期で、ニューヨークで活動しながら、自身のトリオなどで数々の録音を残しています。

ピアノ、ベース、ドラムというピアノトリオの形は、パウエルの成功により定番化したと言われています。

ここで当時の録音時のエピソードを2つ紹介します。

ファッツ・ナヴァロと大喧嘩

トランペット奏者のファッツ・ナヴァロと共演した時のことです。

精神不安定なバド・パウエルの態度に我慢できなくなったファッツ・ナヴァロは、ピアノを弾いているパウエルの手の上に全身でのしかかったというのです。

完全に手を潰しにきていますから、これは喧嘩になりますね。。。

そのときの演奏がこちら↓

はりつめた空気の中で演奏されたものと思われます。

 

ジャズレーベル『プレスティッジ』出禁になる

パウエルがジャズレーベル『プレスティッジ』で録音したのは一度きりでした。

精神不安定なバド・パウエルを見て、ソニー・スティットはパウエルと演奏できるチャンスは限られているかもしれないと思い、パウエルを勧誘しました。

「パウエル様〜!」というようにめちゃくちゃ相手を立てて勧誘しました。

若干馬鹿にしているようにも思いますが、パウエルはノリノリだったといいます(笑)

ノリノリすぎて副調室にいた人に向かって「サンドウィッチを買ってきてくれ」と言いました。

しかし、その男は運悪く『プレスティッジ』社長であるボブ・ワインストックだったのです。

社長をパシリに使おうとしたものですから、この録音を最後にパウエルは出禁にされました。

そのときの録音がこちら↓

バド・パウエルが全盛期を迎え、最高の演奏と言われるアルバムの一つです。

※9曲目までがバド・パウエルが参加しているセッションになります。

 

三度目の精神病院とその後の浮き沈み

1951年1月、バド・パウエルはなんとお薬の方で逮捕されてしまいます。

獄中で精神病が悪化し、叫びまくった結果、警官にイジメられます。

これはヤバイとなって、三度目の精神病院行きになります。

病院では電気ショック療法を受けて、53年2月に退院することができました。

この時の電気ショック療法により、指が以前の様に上手く動かなくなったと言われています。

 

その後は、復調と悪化を繰り返し、それが演奏にも影響していきます。

ディジー・ガレスピーの記事で紹介した53年5月の『マッセイホール』での録音では完全に復調しています。

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54年までは完全に復調していますが、その後1年は全盛期の演奏ではなくなっているようです。

『The Lonely One』では、指が動かなくなっているからかセロニアス・モンク的なソロが聴くことができます。

その後、また復調したり、悪化したりを繰り返し、晩年まで過ごします。

 

バド・パウエルの最期

1959年フランスに移住したパウエルは、『ブルーノート』と契約。

62年には結核を患い、64年にアメリカに戻って療養し、66年7月に41歳でこの世を去りました。

 

おわりに

バド・パウエルが作曲した『クレオパトラの夢』は、日本ですごく愛されている楽曲だそうです。

もしかすると、一度はどこかで聴いたことがあるのではないでしょうか。

 

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