ハード・バップの巨人、クリフォード・ブラウンの足跡を辿る

JAZZあれこれ

どうも、ズワイガニです。

若くしてこの世を去ったハード・バップ初期に活躍した天才トランペッター、クリフォード・ブラウン。

今回はクリフォード・ブラウンの足跡を辿ってみます。

 

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ブラウニーの憧れ、ファッツ・ナヴァロ

1930年デラウェア州ウィルミントン生まれ、ブラウニーの愛称で親しまれたクリフォード・ブラウン。

12歳のころにトランペットを始め、1948年にデラウェア州立大数学専攻入学の後、1949年にメリーランド州立大音楽科専攻に転校しています。

クリフォード・ブラウンの憧れは、メリーランド州立大学在学中に会った7歳年上のファッツ・ナヴァロでした。

ナヴァロとはその前に一度会ったことがあることをベニー・ゴルソンが以下のように語っています。

クリフォードがすでにトランペッターをして活動していた16歳のとある晩、ファッツ・ナヴァロを迎えてコンサートが開かれたときのこと。

ナヴァロを前に、クリフォードは立ち上がってソロを堂々と吹ききりました。

ナヴァロは自分のトランペットを脇に挟み、クリフォードのそばに行き拍手をしたという。

これが二人の最初の出会いでした。

しかし、1950年6月にクリフォードが自動車事故に遭い、数ヶ月間の入院をしている間に、ファッツ・ナヴァロは亡くなってしまいました。

その後、クリフォードは、ナヴァロの遺志を継ぎ、ハード・バップへの道を進むことになります。

 

フィラデルフィアでの活動からヨーロッパツアーへの参加

自動車事故での怪我から退院後、クリフォードはフィラデルフィアで活動をしていました。

その頃からすでにミュージシャンの間で知られるようになっていて、マイルス・デイビスは「フィラデルフィアに行ったらクリフォード・ブラウンを聴くと良い」とアート・ファーマー(その後共演)に教え、ファーマーの話を聞いて、クインシー・ジョーンズらも聞きに行ったという。

また、この時クリフォードは、チャーリー・パーカーとの共演もしていて、パーカーはその演奏に感銘を受け、アート・ブレイキーに推薦したといいます。

そして、1953年にタッド・ダメロン楽団に参加したり、J・J・ジョンソンと共演したりしています。

また、その年にはアート・ブレイキーのサポートを得て、初のリーダー・セッションを行った後、ライオネル・ハンプトン楽団のヨーロッパツアーに参加しています。

これらは『クリフォード・ブラウン・メモリアル』にまとめられています。

 

バードランドの夜

1954年2月21日、ニューヨークのクラブ『バードランド』でアート・ブレイキーを中心に歴史的な実況録音が行われました。

クリフォード・ブラウンもこのセッションに参加しています。

参加メンバー:アート・ブレイキー(ドラムス)、クリフォード・ブラウン(トランペット)、ルー・ドナルドソン(アルトサックス)、カーリー・ラッセル(ベース)、ホレス・シルヴァー(ピアノ)

歴史的なセッションと言われる所以に、ハード・バップの誕生を意味するセッションであったことが挙げれらます。

また、このセッションによりアート・ブレイキーはジャズメッセンジャーズの結成に至るのです。

実況録音の始まり(Vol.1の1曲目)は、バードランドの名物司会者であるピー・ウィー・マーケットのかん高い独特の声でのメンバー紹介になっています。アルバムの1曲目にまずこれを入れるのがかっこいい。

ピー・ウィー・マーケット
バードランドの元司会者。小人症で身長が120cmに満たなかったという。
クラブに出演するミュージシャンたちにチップを強要することで知られており、チップを払わなかったミュージシャンを紹介する時には、わざと名前を間違えたり、葉巻の煙を吹きかけたりして嫌がらせをしたが、ひとたびチップを受け取ると名前を正確に呼ぶようになったといいます。

アルバム紹介↓

ハード・バップ誕生のドキュメント。栄光のジャズ・メッセンジャーズ結成前夜、白熱のライヴ。
モダン・ジャズの神様、チャーリー・パーカーの偉業を讃えて開店した世界一のジャズ・クラブ 「バードランド」。スピーカーから溢れ出るのは、空前絶後の熱気を帯びたプラズマ状態のハード・バップだ。当夜はバラードにおいてフロント・ラインのニュー・スターを全面的にフィーチュアしているが、Vol.1では 「ワンス・イン・ア・ホワイル」 においてクリフォード・ブラウンの若く輝かしい吹奏が堪能できる。

 

クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテッド

1954年、バードランドでの実況録音が行われた同年、マックス・ローチ(ドラムス)とクリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテッドを結成します。

メンバーは、リッチー・パウエル(ピアノ)、ジョージ・モロウ(ベース)、ハロルド・ランド(テナーサックス)。※後にソニー・ロリンズがテナーサックスになります。

ちなみにリッチー・パウエルはバド・パウエルの弟です。

1956年6月までに多くの名演を残しています。

彗星のごとく現れた天才トランペッター、クリフォード・ブラウンと、チャーリー・パーカーとの共演で知られるドラマー、マックス・ローチの双頭バンドによる初セッションを記録した名盤。最強のハード・バップ作品。

出典:CDジャーナル データベース

 

ジャズ史を彩る全てのトランペット・アルバムの中で十指に入る、ブラウニーの天才が輝く永久の名盤。

モダンジャズが持つエッセンスが最高のレベルで詰まった本作は、ジャズが何であるか教えてくれる入門用としても最適。また、ベテラン・ファンには何度聴いても飽き足らない魅力が再び満ちてくる作品。

「サンデュ」は彼の作曲の素晴らしさが分かる。

「トラペットの時代」だった1950年代に輩出した多くの名トランペッターたちの中でも、ブラウニーは特殊な存在として輝いている。全ての曲調、全てのテンポにおいて等しく最高のレベルを持ったのは彼だけだった。

クールで“吹き過ぎない”魅力で異性を風靡したチェット・ベイカーや時代のイノヴェイターだったマイルスでさえ、トラペットを操るという意味ではブラウニーにははるかに及ばない。

 

ブラウニーの最期

クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテッドを結成してから2年ほど経った1956年6月26日、リッチー・パウエル夫妻と共にパウエル夫人の運転する車で交通事故に遭い、25歳の若さで亡くなってしまいました。

ベニー・ゴルソンは彼の死に大変なショックを受け、翌57年に追悼の意を込めて『I remember Clifford(クリフォードの思い出)』という曲を残しています。

この曲はスタンダード・ナンバーとして今でも親しまれています。

 

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