どうも、ズワイガニです。
ジョン・コルトレーン率いる『黄金のカルテット』のメンバーとして活躍したマッコイ・タイナー。
彼がジョン・コルトレーンのバンドに加入する前に一度同じバンドに所属していたことがあるといいます。
今回はマッコイ・タイナーがジョン・コルトレーンのバンドに加入するまでを追ってみたいと思います!
フィラデルフィアではジョン・コルトレーンと同僚だった
1955年、マッコイ・タイナーが17歳の頃にジョン・コルトレーンと出会っています。
マッコイが地元、フィラデルフィアで活動していた頃、カル・マッセイ(tp)のバンドのメンバーでした。その時、コルトレーンも同メンバーとして活動していた時期がありました。
カル・マッセイは、アルバム『Coltrane』でジョン・コルトレーンに『Bakai』という楽曲を提供しておるぞ。
しかし、すぐにコルトレーンはニューヨークに出るためグループを脱退して、その後マイルス・デイヴィスのバンドに加入したんですね。
残されたマッコイは59年までカル・マッセイのバンドで活動を続けました。
ジャズテットに加入
カル・マッセイのバンドを抜けて、マッコイはベニー・ゴルソン(ts)とアート・ファーマー(tp)が結成したジャズテットに参加するため、ニューヨークに行きます。
マッコイと同郷のフィラデルフィア出身で兄貴分だったベニー・ゴルソンが声をかけてくれたのが加入のきっかけだったといいます。
マッコイがジャズテットのメンバーだったのは1年ほどでレコーディングはファースト・アルバム『Meet the Jazztet』にのみ参加しています。
Meet the Jazztet
レコーディング:1960年
レコーディング・メンバーは以下になります。
- アート・ファーマー(tp)
- ベニー・ゴルソン(ts)
- カーティス・フラー(tb)
- マッコイ・タイナー(p)
- アディソン・ファーマー(b)
- レックス・ハンフリーズ(ds)
3管構成でメンバーも豪華ですね!収録曲も馴染みのある曲が入っていて聴きやすいと思います。
『アイ・リメンバー・クリフォード』『キラー・ジョー』が収録されていることでも知られています。
ジョン・コルトレーンのバンドに入るまで
マッコイがジャズテットに加入した頃、ジョン・コルトレーンはまだマイルス・バンドに所属していました。マイルスの仕事がオフの時には、コルトレーンは自身のグループで演奏していて、マッコイは時間があればそこに参加することもあったといいます。
そして、60年春、コルトレーンがマイルス・バンドを抜け、独立することになります。独立するにあたってコルトレーンは、マッコイをメンバーに誘いました。
マッコイはベニー・ゴルソンに相談したところ、ライヴのスケジュールがぎっしり詰まっているため、もう少し待って欲しいと頼まれたそうです。そうしてスケジュールをこなして秋になった頃、マッコイは晴れてコルトレーンのバンドに加入することになりました。
おわりに
マッコイがコルトレーンのバンドに加入した頃のメンバーは、スティーヴ・デイヴィス(b)とピート・ラロカ(ds)。スティーヴ・デイヴィスとマッコイ・タイナーは母方のいとこらしいですよ。
そのすぐ後に、エルヴィン・ジョーンズが加入してくるんですよね。
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