ジャズの発展に貢献した禁酒法時代のカンザス・シティがやばすぎました。

JAZZあれこれ

どうも、ズワイガニです。

今回はジャズの発展に影響を与えた禁酒法時代のカンザス・シティについて調べました。

※諸説あるかもしれません!
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カンザス・シティの位置

カンザス・シティはシカゴから西南に位置するアメリカ中央部にある街です。カンザス・シティあたりから南にかけて(ルイジアナ州北部あたりまで)を「ブルース地帯」と呼ばれています。

カンザス・シティのエリアは大きくカンザス州側とミズーリ州側に分かれています。

禁酒法時代のカンザス・シティ

この時期のミズーリ州側のカンザス・シティはアルカポネもびっくりなんでもありの街でした。(アルカポネはビビらんか笑)

なぜなら、カンザス・シティは賭博場や酒場が公にあった街だからです。

禁酒法時代では、スピーク・イージーと呼ばれた秘密酒場がジャズ・メンの活動の場だったことはよく聞く話ですが、カンザス・シティではコソコソせずに普通にお酒が飲めたわけです。(決してお酒OKな特区とかではないんですよ。笑)

それを可能にしていたのは、トム・ペンダーガストという悪徳政治家で、彼は優秀な部下を従え、賭博場を開設したり、酒造会社やキャバレー、売春街などを自身で経営していたりして、やりたい放題やっちゃっていました。

これが13年ほど続いたらしい。なぜ放置されていたんだろう・・・。

メディアも悪行に加担し、ギャングがのさばり、街全体が腐っていくほどに、ダンス場や酒飲み場が増えるので、ジャズ・メンの活動の場が増えるのは、そりゃあそうっすよねって感じですよね。

ちなみに、当時アメリカ全土で行われていたハイウェイ工事のミズーリ州の受注はすべて彼の会社が引き受けていて、そのときの部下の工事責任者が後のアメリカ大統領となるハリー・S・トルーマンだというからびっくりですね。

ミズーリ州はラグタイムの中心地

そもそもミズーリ州はラグタイムの中心地でした。ミズーリ州の中にシダリアという街があって、この街は「ラグタイムの首都」と言われたりしています。

この街のクラブにちなんで、ラグタイムのレジェンド、スコット・ジョプリンが作曲した『メイプル・リーフ・ラグ』という曲があります。

ジャズ・バンドが人気を博するまで、ミズーリ州はラグタイムが盛んな場所だったのです。

カンザス・シティのジャズ

ジャズ・バンドが人気になり、その中でも一番のグループはベニー・モーテン楽団でした。

モーテン楽団はジャズ・メンにとって名誉ある楽団にまで成長し、そのメンバーの中にはスウィング・ジャズ、ビッグ・バンド・ジャズを代表する人物の一人であるカウント・ベイシーがいました。

1935年ベニー・モーテン亡き後、ベイシーは自身の楽団を作り、シカゴへ。その後すぐに、ニューヨークへ進出して大成功を収めるのです。

カウント・ベイシー
ベイシー特有のジャンプするリズムでスウィングするサウンドは独特の味があります。
1936年末シカゴからニューヨークに活動の場を移して以後、その人気はアメリカ国内にとどまらず、世界各国をツアーするなどして大活躍しました。
カウント・ベイシー・オーケストラは、グラミー賞をなんと15回も受賞しています。
代表曲『ワン・オクロック・ジャンプ』『ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド』は、当時はダンス音楽でしたが、現在はスタンダード・ジャズとしても親しまれています。



この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「カウント・ベイシー」を素材として二次利用しています。

おわりに

1933年ようやく禁酒法が廃止され、カンザス・シティのジャズ・メンたちはシカゴやニューヨークへ進出することになり、その後のジャズに影響を与えていくのです。

ちなみにチャーリー・パーカーはカンザス州側のカンザス・シティで生まれ育ちました。

そして、やりたい放題やっちゃったペンダーガストは、後に脱税で逮捕されました。突き抜けてやりすぎると脱税で逮捕されるのかな?アルカポネもそうだったみたいだし。

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