どうも、ズワイガニです。
いきなりですが、キャノンボール・アダレイを知っていますか?
キャノンボール!名前、カッコよくない!?
ジャズファンならご存知だと思いますが、このブログは【しろうとJAZZ】ということで、キャノンボール・アダレイさんについて紹介したいと思います!
キャノンボール・アダレイといえば!
キャノンボール・アダレイといえば、まずはなんと言っても『Somethin’ Else(サムシンエルス)』ですね!
『Somethin’ Else』は1958年にレコーディングされたキャノンボールのリーダー作ですが、実質マイルス・デイヴィスのリーダー作だなんて言われています。
当時マイルスがコロムビア・レコードと契約をしていたため、他のレコード会社からはマイルス名義で作品を発表できなかったんです。
ただ、マイルスは義理堅いので、薬物中毒から復活までをサポートしてくれたブルーノートのオーナー、アルフレッド・ライオンに恩返しがしたかった。
そこで思いついたのが、キャノンボールをリーダーに据えて作品を発表するというもの。
こういう事情があったので、アドリブがマイルスのトランペットからだったりします。
また、ブルーノートの倉庫に残されていたマスター・テープの箱には「マイルス・デイヴィスのセッション」とライオン自身の筆跡で書かれていたそうですので、実質マイルスのリーダー作というのは間違いなさそうですね!
Somethin’ Else(サムシンエルス)
1958年レコーディング
- キャノンボール・アダレイ(as)
- マイルス・デイヴィス(tp)
- ハンク・ジョーンズ(p)
- サム・ジョーンズ(b)
- アート・ブレイキー(ds)
なんでキャノンボールってあだ名なの?
それは私から話そう。
あ、しったかJAZZ博士!!!
知ったかじゃ〜。
博士、登場のくだりなんてどうでも良いので、キャノンボールのあだ名の由来を教えてください!
ひどいのう。。。
キャノンボール・アダレイの本名は”Julian Edwin Adderley”と言うての。彼はとても体が大きく、大食漢だったそうじゃ。
その見た目から“cannibal(大食漢)”というあだ名を付けられての。。。
“cannibal”だから、読み方は”キャンニバル”ですかね・・・?
まさか・・・!
そう、”キャンニバル”が由来して、そこから”キャノンボール”と呼ばれるようになったようじゃの。
全然想像していたのと違った!(笑)
キャノンボール・アダレイの兄弟もミュージシャン
キャノンボールは大きな体でとても陽気な人だったみたいですね。
弟も同じような感じだったみたいじゃぞ。
知っていますよ!ナット・アダレイですね!
コルネット奏者で、キャノンボールとはバンドを組んでいたんですよね。
キャノンボールがマイルスのバンドに入る前と後に組んでおるの。
後に結成した時には、ナット・アダレイもフューチャーされて、うまくいったようじゃ。
そうなんですね。
では、ナット・アダレイと再結成した時のおすすめのアルバムを教えてください!
それじゃったら、1959年レコーティングの『Cannonball Adderley Quintet In San Francisco』はどうかの。
メンバーには、ナット・アダレイの他、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズにいたボビー・ティモンズ(p)がいて、彼作曲のゴスペル・ライクな『This here』をアダレイ兄弟が熱演しておるんじゃ。
なるほど!良いですね!聴いてみます!
Cannonball Adderley Quintet In San Francisco
1959年レコーディング
- キャノンボール・アダレイ(as)
- ナット・アダレイ(cor)
- ボビー・ティモンズ(p)
- サム・ジョーンズ(b)
- ルイ・ヘイズ(ds)
Mercy,Mercy,Mercy
あとは、キャノンボール・アダレイといえば、『Mercy,Mercy,Mercy(マーシー・マーシー・マーシー)』じゃな。
この曲はジョー・ザヴィヌルが作曲したのじゃ。
マイルス・バンドに参加する前のジョー・ザヴィヌルですね!
ジョー・ザヴィヌルは、キャノンボールのバンドに1961年から9年間在籍したようじゃの。
その中で生まれたこの曲じゃが、1966年に発売されたあと、シングル・カットされて、ビルボードのR&Bチャートでは2位まで上りつめるなど大ヒットしたのじゃ。
ジャズの楽曲としては異例の大ヒットとなったわけですね。
Mercy, Mercy, Mercy (Live at ‘the Club’)
1966年レコーディング
- キャノンボール・アダレイ(as)
- ナット・アダレイ(cor)
- ジョー・ザヴィヌル(elp)
- ヴィクター・ガスキン(b)
- ロイ・マッカーディ(ds)
おわりに
ソウル・ジャズ、ファンキー・ジャズの立役者の一人であり、ハード・バップに多大な貢献をしたキャノンボール・アダレイは1975年に脳卒中で亡くなっています。
ジョー・ザヴィヌルはウェザー・リポートを結成したあと、アルバム『Black Market』の2曲目『Cannon Ball』で、キャノンボール・アダレイに捧げた曲を発表しています。
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