どうも、ズワイガニです。
1958年、アート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズが放った歴史的名盤『モーニン』。
タイトル曲のキャッチーなイントロを耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか?
このアルバムは、単なる人気作ではなく、グループの存続すら危ぶまれた時期に生まれた“起死回生”の一枚なんです。
今回は、そんな名盤『モーニン』が誕生するまでの背景と、ファンキー・ジャズというスタイルとの関係をひも解いていきます!
『モーニン』は再出発の第一歩だった?
そもそもアート・ブレイキーは、1955年にホレス・シルヴァーと共に「ジャズ・メッセンジャーズ」を結成しました。このときは実質的にホレス・シルヴァーがリーダー格で、グループの音楽的な舵取りを担っていました。
しかし、1956年にホレス・シルヴァーが、なんと他のメンバー数人を引き連れてグループを脱退してしまいます。これにより、ジャズ・メッセンジャーズは“名前だけが残り、中身はゼロ”という状態に。ポジティブにいえば、アート・ブレイキーが名を取り、ホレス・シルヴァーが実を取った形になったわけですね。
残されたアート・ブレイキーはリーダーとして新たなメンバーを探し、何とか活動を続けるも、しばらくは地味な時期が続きました。
そんな中、1958年に思わぬ転機が訪れます。当時バンドのテナー・サックスを担当していたジャッキー・マクリーンがトラブルで離脱し、代役として呼ばれたのがベニー・ゴルソンだったのです。
音楽監督・ベニー・ゴルソンの加入が流れを変えた!
ベニー・ゴルソンといえば、演奏もさることながら、作編曲の才能でも知られる人物。『クリフォードの想い出(I Remember Clifford)』など、美しいメロディの作品を数多く残しています。
アート・ブレイキーは彼の才能をすぐに見抜き、なんと音楽監督兼テナー・サックスとして正式メンバーに迎え入れます。さらに若手のリー・モーガン(トランペット)、ボビー・ティモンズ(ピアノ)、ジミー・メリット(ベース)というフレッシュな布陣でバンドを再編。
この新メンバーでレコーディングされたのが、まさにこの『モーニン』だったのです。
ここから、ジャズ・メッセンジャーズは完全復活。アルバムのヒットとともに「ファンキー・ジャズ」のブームも巻き起こり、ブレイキーは名実ともに“ハード・バップの旗手”としての地位を確立していきます。
『モーニン』は、ベニー・ゴルソンに音楽監督を一任し、フレッシュなメンバーに総入れ替えして臨んだ、まさにアート・ブレイキーの起死回生の作品だったのです!
タイトル曲『モーニン』とそのゴスペル・フィーリング
アルバムの冒頭を飾るタイトル曲『モーニン』は、ピアニストのボビー・ティモンズによる名曲。彼は牧師の息子として育ち、ゴスペルの響きに幼少期から親しんでいました。
その影響が如実に表れているのが、曲の冒頭部分。ピアノがリズミカルなテーマを弾き、そこにトランペットとテナー・サックスが“掛け合い”のように応じる構成は、まさに教会での「説教と応答」のようなゴスペル・スタイル。このコール&レスポンスが、聴く者の心をグッとつかみます。
ソウルフルでブルージーなその響きは、当時のジャズ・シーンに新風を吹き込み、『モーニン』はファンキー・ジャズの代名詞となりました。
ファンキー・ジャズってどんな音楽?
ファンキー・ジャズとは、ブルースやゴスペルに根ざした感情豊かな演奏スタイルのこと。複雑なコード進行や速いパッセージよりも、歌うようなメロディとノリの良さを重視した表現が特徴です。
別名「ソウル・ジャズ」とも呼ばれ、リスナーの体を自然に揺らすようなリズム感や親しみやすいテーマが魅力です。
アルバム『モーニン』には、そんなファンキー・ジャズの魅力が詰まった名演が並びます。中でも『モーニン』と『ブルース・マーチ』の2曲は、今なおジャズの入門曲としても高く評価されている定番中の定番です。
おわりに
アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの『モーニン』は、自分以外のメンバー脱退という危機を乗り越え、若い才能を信じ、ベニー・ゴルソンという音楽的参謀を得たことから誕生した、まさに“起死回生”の一枚です。
この作品をきっかけに、ファンキー・ジャズの波は一気に広がり、アート・ブレイキーは以降も長きにわたりジャズ界の第一線を走り続けました。
ジャズに興味を持ち始めた方には、ぜひ聴いてほしい名盤です!
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