どうも、ズワイガニです。
ジャズ・ジャイアントの一人、セロニアス・モンクを知っていますか?
モンクはモダン・ジャズの黎明期から活躍したピアニストです。
今回はセロニアス・モンクをテーマに進めたいと思います。
セロニアス・モンク(1917年 – 1982年)
ノースカロライナ州生まれのジャズ・ピアニスト。即興演奏における独特のスタイルと、スタンダード・ナンバーの作曲で知られており、ビ・バップのパイオニアの一人と評されている。
ズワイガニ
にわかジャズファン。
自分のイラストをめっちゃちゃんと作ってもらってうれし恥ずかし。
しったかJAZZ博士
しったかジャズファン。
作画がゆるい。
よろぴく。
セロニアス・モンクってどんなミュージシャン
早速なんですけど、モンクは僕がジャズに興味を持つきっかけとなったミュージシャンなんですよ。
僕みたいな音楽に詳しくない人が聴いても分かる圧倒的なオリジナリティがモンクにはありますよね。
博士から見るとモンクのオリジナリティとは、ズバリ何だと思いますか?
それは・・・
なんか・・・
変なところじゃ。
変(笑)
あ、たしかに一人だけ独特な演奏していますよね!良いのこれ?ありなの?って最初聴いたときに思いました!
ちなみにモンクの演奏で一番最初に聴いた曲はマイルス・ディヴィスの『バグズ・グルーヴ』でしたね。
この演奏、トランペットのマイルスが吹いているときは伴奏をさせてもらえなかったんですよね。
レコーディングのときに、マイルスから「お前の演奏は俺のトランペットには合わない。というわけで、俺のバックでは演奏するんじゃあないぜ。」と言われたんじゃな。
博士の中のマイルス、なんか口調がジョジョっぽいな。
しかし、当時このレコードがリリースされたときのモンクのソロは評論家によっては史上最高のソロだと評価されていたりするんじゃぞ。
初めて聴くと、幼稚園児が適当に弾いて奇跡的に成立しているんじゃないかと思うような演奏ですよね(笑)
でもリズムに合わせた間の使い方やコード進行に合わせた音のチョイスなどちゃんと計算されているんですよね。
モンクのスタイルは専売特許じゃの。同じスタイルで演奏をしようものならモンクのパクりとか劣化版モンクとか二番煎じとか言われてしまいそうじゃ。こわこわ。
モンクの演奏を聴いて、ジャズの寛容さ、自由さに感銘を受けたのを覚えています。
ビバップと呼ばれる小編成ジャズが主流になるまではビッグバンドのジャズが主流だったんじゃ。
ビッグバンドに所属していた一部のプレイヤーが夜な夜な深夜のジャズ・クラブでジャム・セッションをしていたらビバップが生まれたんじゃ。
その頃から、つまりビ・バップの黎明期からモンクはいたんじゃが、最初からこのスタイルなんじゃぞ。
売れるために途中で芸を変えたわけではないんですね。
最初は正統派漫才をやっていたのに、売れるためにキャラ芸漫才に変えたみたいな・・・。
その例えはよく分からんが、自分のスタイルに自信と信念があったんじゃな。作曲も秀でていることから、普通に弾けると思うぞい。
最初期からいたんで、周りのプレイヤーもモンクのスタイルに慣れていたのかもですね。
「お前の演奏、めっちゃクールやん!」つって。
親友のバド・パウエルなんかは影響を受けていると思うんじゃ。
現役後期の体がガタガタになったときの演奏はモンクっぽさを感じるの。
※バド・パウエル:ビ・バップスタイルの第一人者。技巧派ピアニストで、『ピアノのチャーリー・パーカー』とも呼ばれた。
セロニアス・モンクは作曲家としてもすごい
さっきは作曲も秀でていると言ったが、モンクはのちのスタンダード・ナンバーになる曲を何曲も作曲しているんじゃ。
すごすぎる…。
一番有名なのは、なんたってマイルス・ディヴィスが演奏した『ラウンド・ミッドナイト』じゃな。
どうして有名になったんですか?
マイルスの『ラウンド・ミッドナイト』の演奏が始まってから終わるまでの間に、コロムビア・レコードがマイルスとの契約の意向を固めたんじゃ。それほどのエモさ爆発の名演だったんじゃな。
コロムビア・レコードと契約するのがすごいことなんですか?
これまではジャズ専門のレーベルと契約するのが一般的だったんじゃ。そこへ誰もが知っている大手メジャー・レーベルと専属契約するというんじゃ。すごいじゃろう?
たしかに待遇とかも全然違いそう。名実共にマイルスがスターになるきっかけの曲が『ラウンド・ミッドナイト』だったんですね!
コロムビア・レコード移籍後、最初にリリースされたアルバムも『ラウンド・ミッドナイト』じゃったの。
セロニアス・モンクは苦労人
モンクは苦労人なんですよね。
まあそうじゃな。
バド・パウエルが旅に出たいというので、深夜に車で送っているときのことじゃ。
警官に車を止められて、近辺を調べられたところ、バド・パウエルが持っていたイケナイお薬が出てきたんじゃ。このとき、モンクはバド・パウエルを庇って無言を貫いた結果、留置所に入れられた挙句、キャバレー・カードを没収されてしまったのじゃ。
当時ニューヨークのジャズ・クラブで演奏するためには、キャバレー・カードが必要だったので、ニューヨークでの演奏機会を失ってしまったのじゃな。これが、1951年。
災難ですけど、なんか漢気のあるエピソードですね。なかなか出来ないです。
それ以来、レコーディングはあるものの、演奏の機会を与えられず、働きながらひたすら曲を書き続けていたそうじゃ。
結局、キャバレー・カードが再交付されたのは1957年。
7年くらいニューヨークで演奏できなかったんじゃな。
ジョン・コルトレーンをバンドに迎え入れたのは、再開後すぐ後くらいなんですね。
※ジョン・コルトレーンはマイルス・バンドを抜けたあと、モンクのバンドに加入し、マイルス・バンドに再加入している。
セロニアス・モンクの来日エピソード
モンクはファッションにもこだわりが強いんですよね。
来日コンサートか番組の収録かなんかで来日した際、オシャレなジャケットで来たらしいんじゃが、誰がどう見ても暑そうなんじゃ。
暑そう(笑)ライティングだけでも暑いですもんね。
で、汗だくになりながら演奏して、終わった頃にはグランド・ピアノが1台ダメになっていたという話を聞いたことがあるぞ(笑)
たいへんだ〜!
おわりに
モンクの演奏を変と言いましたが、その方が伝わりやすいと思ってあえて言っていますので、ご理解いただけると幸いです!
でも、実際聴いたら「そういうことかー!」って思ってもらえると思いますので、ジャズ・ジャイアントの一人、セロニアス・モンクの演奏を是非一度聴いてみてくださいね!
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