どうも、ズワイガニです。
ビ・バップ創生期にチャーリー・パーカーと共にジャズ界に多大な影響を与えた男、ディジー・ガレスピー。
彼の破天荒なエピソードがいくつか残されています。
今回は、ガレスピーの紹介と共に破天荒エピソードを紹介しようと思います。
ディジー・ガレスピーとは?
ディジー・ガレスピーは1940年代ビ・バップの形を創った一人であるトランペット奏者です。
1940年代ごろ、ビッグバンドの楽団に所属する傍ら、ニューヨークのクラブ『ミントンズ・プレイハウス』によく顔を出して、ジャムセッションに参加していました。
当時のガレスピーの録音が以下の記事で紹介した音源に残っています。
1944年にはバップスタイルを完成させていたといいます。
翌1945年からガレスピーはソロ活動を開始し、チャーリー・パーカーと共にジャズシーンの中心に躍り出ました。
ガレスピーとパーカーが実際にコンビを組んでいたのは、1945年12月のハリウッドの『ビリー・バーグ』出演の2ヶ月間だけだったらしい。
1946年以降は何度もビッグバンドを組織し、2度目に組織したビッグバンドでは、コンゴ奏者のチャノ・ポソを迎え、ラテンリズムをビ・バップに取り入れたラテン・ジャズの走りとなりました。
また、ガレスピー自身も作曲者であり、『チュニジアの夜』『ソルトピーナッツ』『ビバップ』などの代表曲があります。
このビバップという曲がそのまま音楽ジャンル名になったと言われていたりします。※諸説あります。
このように、1950年代までにジャズ界に多大な影響を与えたわけですが、破天荒なエピソードもいくつか残っていますので紹介していきます。
アピールが過ぎる。
演奏時のガレスピーはコメディアン風な仕草や風貌で観客を楽しませたのですが、少々やり過ぎることがあったそうです。
以下のような具合に。
- 足を椅子にのせて演奏していたのを咎められたので、譜面台に足をのせて演奏を行った。
- 一人だけまったく違う方向を向いてトランペットを吹いた。
- 他のメンバーのトランペットソロのときに一緒に立ち上がって吹き真似をした。
- 曲が終わると同時に立ち上がり余計に吹いた。
こんな感じで、かなりお調子者であったみたいです。
楽団のリーダー、斬られる。
1941年秋、キャロウェイ楽団に所属していたガレスピー。
ある時、演奏中にリーダーであるキャロウェイにジョナ・ジョーンズというメンバーが紙ツブテを投げつける事件がありました。
キャロウェイは、またお調子者のガレスピーがやったんだろうと思い、かなり厳しめの説教をしたそうです。
その結果、濡れ衣のガレスピーはブチ切れて、飛び出しナイフで背中を斬りつけてしまいました。
飛び出しナイフとは、折り畳みナイフのスイッチを押すとシャッ!!てナイフが飛び出すアレです。
その結果、キャロウェイは背中を十針も縫ったそうですので、当然クビっていうか普通に事件ですね。。。
この出来事は、ダウン・ビート誌で報道されたそうです。
チャーリー・パーカー、置いてかれる。
ガレスピーとパーカーがコンビを組んでいたときの出来事。
ハリウッドの『ビリー・バーグ』に出演中だったのですが、例によって(あかん薬とかが理由で)パーカーは無断欠勤が続いていました。
それにより、ミルト・ジャクソンをパーカーのバックアップとして雇い入れ、その場をしのぎました。
そして帰りに、ガレスピーは旅費を使い込んでいたパーカーを一切助けずに置き去りにして帰ったという。
折れ曲がったトランペットを使う。
1954年1月にガレスピーの妻であるロレインの誕生パーティが開かれました。
その時に、『スタンプとスタンピー』というコメディダンサーが踊っている拍子にガレスピーのトランペットの上に倒れてしまい、トランペットが折れ曲がってしまいました。
それを見たガレスピーは激怒りしたそうですが、「ちょっと待てよ…」と試しに吹いてみると意外に良い音が鳴ることに気付き、あることを思いつきます。
「これ、売れんじゃね?」
その後、特許申請して、自身のバンドのトランペットは折れ曲がったトランペットを持たせて、しっかり宣伝も行いました。
しかし、結果的に儲かりませんでした。
特許は1861年にフランスのデュポンという人が取得済みだったのです。
デュポンさんも同じこと考えたんでしょうかね(笑)
かわいいところもあります。
ナイフで切りかかったり、仲間を置いて行ったり、怖い人なのでは?と思うかもしれませんが、かわいいところもあります。
踊り子だった奥さんのロレインを口説き落とすために、料理を覚えてしょっちゅう楽屋に配達したらしいですよ。
あと、トランペットを吹き込んだ時に、ほっぺたが「ぷく〜」っとふくらむのもかわいいです。これは特異体質らしいです。
ディジー・ガレスピーのアルバム
お調子者であったことから、”Dizzy(くらくらする)”と呼ばれたガレスピー。
超絶技巧派としても”Dizzy(目が眩むような演奏をする)”と呼ばれていたそうですよ。
1953年5月にカナダのトロントで開催されたModern Jazz Summit MeetingにおいてDizzy Gillespie、Charles Mingus、Charlie Parker、Bud Powell、Max RoachのクインテットがMassey Hallにて録音した白熱のライヴを記録した名盤が24bit最新リマスターで復刻。
今なお”史上最高のジャズ・コンサートのひとつ”と称されるトロント・モダン・ジャズ・サミットに参加したDizzy Gillespie、Charles Mingus、Charlie Parker、Bud Powell、Max Roachの5人がMassey Hallに結集し録音されたライヴ。まさにモダン・ジャズを代表する名手の円熟期のプレイを堪能できる珠玉の名盤。1953年5月15日録音。(新譜インフォより)
出典:HMV&BOOKS「Quintet: Jazz At Massey Hall」
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