フィラデルフィアの兄貴分、ベニー・ゴルソンとは?

JAZZあれこれ

どうも、ズワイガニです。

ジャズの世界には、一度は耳にしたことがある名曲を作った人たちがたくさんいます。その中でも、『Killer Joe(キラー・ジョー)』や『I Remember Clifford(アイ・リメンバー・クリフォード)』といった名曲で知られるのが、サックス奏者のベニー・ゴルソンです。

ゴルソンは、たくさんの名曲を残した作曲家であり、フィラデルフィアのジャズ・シーンを支えた兄貴分的存在でもありました。そんなベニー・ゴルソンが私は大好きで、敬意を表してベニゴル兄やんって呼んでいます。本当にすみません。

この記事では、ベニー・ゴルソンの入門編として、彼の歩みやエピソード、そしてオススメの名盤をまとめてみました。

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ベニー・ゴルソンってどんな人?

ベニー・ゴルソンは、1929年生まれ、フィラデルフィア出身のテナー・サックス奏者です。

彼の名前を知らなくても、『Killer Joe』『I Remember Clifford』『Whisper Not』といった曲を聴いたことがある人は多いはず。これらはすべてゴルソンが書いた曲で、今でもジャズ・スタンダードとして世界中で演奏されています。

ゴルソンの魅力は、演奏家としての実力に加えて、作曲の才能にあります。ジャズ・マンの中には即興演奏で輝く人が多いですが、ゴルソンは歌心のあるメロディをつくる作曲家としても一目置かれていました。その結果、プレイヤーとしても作曲家としても高い評価を得ることになったのです。

さらに、彼はジャズ界のつなぎ役ともいえる存在でした。仲間や後輩を支えながら、フィラデルフィアの仲間たちを盛り立てた存在でもあったのです。

ベニー・ゴルソンの経歴

ジャズ界の顔となった一枚の写真「A Great Day in Harlem」への参加

1958年、ジャズ界を象徴するアーティストたちが集まった写真「A Great Day in Harlem」に、29歳のゴルソンも参加。錚々たる顔ぶれの中に並ぶ姿は、彼がすでに一目置かれる存在だった証です。

A Great Day in Harlem:1958年8月12日、ニューヨーク市ハーレム地区のブラウンストーン前で、57名のジャズ・ミュージシャンが集まって撮影された集合写真です。撮影はアート・ケインによって行われ、『Esquire』誌の1959年1月号(「ジャズ黄金時代」特集)の見開き中央に掲載されました。
電話をもらったとき、僕はまだ“新参者”だった……。現場に着いてあたりを見回したら、自分にこう言わずにいられなかったんだ。「モンク、ベイシー、ディジー……こんな人たちの中に、僕は一体何をしに来たんだ?」。でも、確かに僕はそこにいたんだ。

ハード・バップの名盤『Moanin’』での活躍

アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズに参加した1958年、ゴルソンは『Along Came Betty』『Blues March』『Are You Real』といった名曲を提供しました。これらはアルバム『Moanin’』に収録され、ハード・バップの代表作として今も愛され続けています。

また、ゴルソンは同郷のリー・モーガン(トランペット)やボビー・ティモンズ(ピアノ)をバンドに推薦するなど、メンバー編成にも大きな影響を与えました。短期間の在籍ながら、その貢献はメッセンジャーズの黄金期を支える重要なものとなったのです。

最愛の友への追悼曲『I Remember Clifford』

1956年、同郷で親しかったトランぺッター、クリフォード・ブラウンが夭折したことを受けて作られた『I Remember Clifford』は、美しく切ないバラードです。

ゴルソンの深い友情と喪失感から生まれたこの曲は、すぐにジャズ界に広まりました。特に同じくフィラデルフィア出身の若きトランぺッター、リー・モーガンが演奏したことで知られ、彼の瑞々しい音色が曲の持つ哀切さをさらに引き立てています。今でもジャズを代表するバラードのひとつとなっています。

ジャズテット結成

1959年にアート・ファーマーと共同で結成された「ジャズテット」は、トランペット、テナーサックス、トロンボーン、ピアノ、ベース、ドラムの6人編成というセクステットでした。ゴルソン自身、こうした構成を選んだ理由について、「クインテットが多すぎるから、もうひとつ声を入れたかった」と語っています。

この構想通り、ジャズテットは精密ながらも温かみのあるアンサンブルを実現。デビュー作『Meet the Jazztet』(1960年)では『Killer Joe』などゴルソンの作品が並び、その精緻な音の重なりとソロの調和は、高い評価を受け、ハード・バップの名作として広く親しまれています

映画とテレビの世界へ

1960年代後半、ベニー・ゴルソンは音楽の活躍をジャズの枠から広げ、テレビや映画の世界へ進出。人気シリーズ『MAS*H』や『Mission: Impossible』、『The Partridge Family』などに楽曲を提供しました。

その後、1970年代中盤から演奏活動を再開し、1982年にはアート・ファーマーと共にジャズテットを再結成。再びステージに立ち続ける存在となりました。

ベニー・ゴルソンの印象的なエピソード

幼少期にグレン・ミラーに夢中だった少年時代

フィラデルフィアで育ったゴルソン少年は、ラジオから流れるスウィングに魅了されていました。特にグレン・ミラーの歌声や『Moonlight Serenade』の旋律に心を奪われていたそうです。

グレン・ミラーの音楽に夢中だったよ。特に『ムーンライト・セレナーデ』が大のお気に入りだったんだ。

これは、のちに硬派なハード・バップのサックス奏者となる彼の意外な原点と言えるエピソードかもしれないですね。

タッド・ダメロンとの師弟関係

プロ活動初期、ピアニストで編曲家のタッド・ダメロンが師匠となり、作曲やアレンジのノウハウを惜しみなく教えてくれたといいます。

本当にオープンな人で、僕はいくらでも知識を吸わせてもらったんだ。

映画『ターミナル』で本人役で出演!

2004年のスティーヴン・スピルバーグ監督による映画『ターミナル』では、主人公が「最後に手に入れたいジャズ・マンのサイン」としてゴルソンの名前を挙げます。先ほど紹介した伝説的集合写真「A Great Day in Harlem」が物語の鍵になっていたりします。

そしてクライマックスではゴルソン本人が登場し、演奏シーンも披露するという粋な演出が実現しました。スピルバーグからの出演依頼に対して、ゴルソンは「冗談だろ?もちろんやりますとも。」と笑いながら快諾したそうです。

フィラデルフィアの兄貴的存在

ゴルソンはフィラデルフィアのジャズ・シーンで兄貴分的な存在でした。若き日のコルトレーンに作曲や音楽理論を教えたり、リー・モーガンやジミー・ヒースら後輩を導いたりと、その影響力は計り知れません。音楽的な師であると同時に、人間的にも後進に慕われた存在だったのです。

高校時代からは、コルトレーンやヒース三兄弟(ジミー、パーシー、アルバート)、そしてドラマーのフィリー・ジョー・ジョーンズといった同郷の仲間たちと共に演奏。 互いに切磋琢磨して成長した経験が、ゴルソンの土台となりました。

僕らがフィラデルフィアで一緒に腕を磨いていた頃、コルトレーンはいつも僕らより一歩先を行っていた。新しいことに挑戦していく、その速さとしなやかさにはいつも感嘆していたんだ。

ヒース三兄弟の実家は南フィラデルフィアでジャムセッションの場となり、ゴルソンもその一員として夜遅くまで演奏を重ねました。 ゴルソンは「どんなに音がうるさくても、彼らはずっと僕らを応援してくれた」と振り返っています。

後にジャズメッセンジャーズ時代には、リー・モーガン、ボビー・ティモンズ、ジミー・メリットといった若手フィラデルフィア出身のミュージシャンを積極的に推薦。 特にティモンズを推薦したことは大きく、『Moanin’』に収録されたピアノ・パートが生まれるきっかけとなり、ハード・バップの金字塔を作り上げることにつながりました。

さらに、ゴルソンの作曲した『Whisper Not』『Blues March』『Stablemates』といった名曲は、同郷の仲間たちによって繰り返し演奏されました。 それらはフィラデルフィア出身ミュージシャンの共通言語となり、音楽的な絆として語り継がれていったのです。

ベニー・ゴルソンを知るための名盤ガイド

Moanin’ / アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ (1958)

ジャズの名盤として必ず名前が挙がる一枚。ゴルソンはこの時期メッセンジャーズの一員として参加し、『Along Came Betty』『Blues March』『Are You Real』といった代表曲を提供しました。

アート・ブレイキーの力強いドラムと若きリー・モーガンのトランペット、そしてゴルソンのメロディアスな曲作りが見事に融合しています。ジャズ初心者にもおすすめの教科書的アルバム。

Meet The Jazztet / ベニー・ゴルソン&アート・ファーマー (1960)

ゴルソンがトランペッターのアート・ファーマーとともに結成した「ジャズテット」のデビュー盤。ここに収録された『Killer Joe』はゴルソン最大の代表曲で、都会的でクールな雰囲気が漂う名演です。アンサンブルのまとまりとソロのバランスが絶妙で、まさにジャズらしさを体験できる一枚。

Benny Golson and the Philadelphians / ベニー・ゴルソン (1958)

タイトルの通り、フィラデルフィア出身の仲間たちと共演した記念碑的アルバム。ゴルソン、リー・モーガン、レイ・ブライアント、パーシー・ヒース、フィリー・ジョー・ジョーンズと、地元のスターが勢ぞろいしています。同郷の絆と熱気が詰まったサウンドは、まさに「フィラデルフィアの兄貴分」ゴルソンを象徴する一枚。

Turning Point / ベニー・ゴルソン (1962)

ややマニアックですが、ゴルソンがよりモダンなアプローチに挑戦した作品。スタンダードなハード・バップから一歩進んだ彼の探究心が表れています。初心者は少し後回しでもいいですが、ゴルソンの幅広さを知るならぜひ聴いておきたいアルバム。

Terminal 1 / ベニー・ゴルソン (2004)

映画『ターミナル』への出演を機に録音された一枚で、ゴルソンの円熟の演奏が感じられます。ゴルソンの代表曲『Killer Joe』や『Blues March』の新解釈などを収録し、長いキャリアを経た現在地を象徴する作品です。

おわりに

ベニー・ゴルソンは、演奏家であり作曲家であり、仲間を支える存在でもありました。

私にとってゴルソンの曲は、難しく構えなくても楽しめるものばかりで、シンプルに「いいな」と感じられる魅力があります。

ベタですけど、私のジャズの入り口はアート・ブレイキーの『Moanin’』でした。あのアルバムで出会って以来、ゴルソンはずっと自分にとってアイドルなんです。

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