MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)はモダン・ジャズの室内楽

JAZZあれこれ

どうも、ズワイガニです。

1950年代以降、ジャズは個の時代へ突入します。超絶技巧を誇るプレイヤーが次々と登場し、派手なソロや即興バトルが聴衆を魅了する一方で、その流れに背を向け、アンサンブルの美を追求したグループがありました。

それが MJQ(モダン・ジャズ・カルテット) です。

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MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)とは?

MJQは、管楽器を用いず、ミルト・ジャクソン(ヴィブラフォン) を中心に据えたカルテット編成で活動し、知的で品格ある室内楽的アプローチは、ハード・バップ全盛の時代において異彩を放ちました。

メンバーは以下の通りです。

  • ミルト・ジャクソン(ヴィブラフォン)
  • ジョン・ルイス(ピアノ)
  • パーシー・ヒース(ベース)
  • ケニー・クラーク(ドラムス) → 後にコニー・ケイ、さらにアルバート・ヒースへ交代

個々のキャリアも輝かしく、他セッションでの活躍も多かったものの、ドラム以外は23年間ほぼ同じメンバーで活動。この安定感こそ、グループとしての統一美を生み出す大きな要因でした。

MJQの結成について

1946〜50年にディジー・ガレスピーのビッグ・バンドで一緒に演奏していたミルト・ジャクソン、ジョン・ルイス、ケニー・クラークが1951年にミルト・ジャクソンをリーダーとした『ミルト・ジャクソン・カルテット』を結成しました。

その翌年、MJQというイニシャルをそのままに、『モダン・ジャズ・カルテット』にバンド名を変更したことで、MJQは誕生しました。

結成当初はミルト・ジャクソンとジョン・ルイスが音楽監督を担当していましたが、のちにジョン・ルイスがすべてを担当することになります。

ジョン・ルイスはクラシックとジャズを融合させることに情熱を注ぎ込んだため、クラシック要素を含んだ知的なサウンドを特徴としたMJQの音楽性が出来上がりました。そして、「モダン・ジャズの室内楽団」という独自の立ち位置を確立していきます。

しかし、この方向性はメンバー全員に歓迎されたわけではありません。1954年、ビ・バップ寄りの自由な演奏を好んだケニー・クラークが脱退。彼にとっては、MJQの緻密で構築的なアンサンブルは窮屈に感じられたのかもしれません。

ちなみに、このような音楽性を追求したためかジョン・ルイスは、プレスティッジ・レコードのボブ・ワインストック社長に毛嫌いされていたらしく、プレスティッジのレコーディングにジョン・ルイスだけ呼ばれずに録音されることが度々ありました。

MJQが室内楽たる所以

MJQの演奏は、即興性よりも緻密なアレンジとバランス感覚を重視。ジョン・ルイスのクラシック的な和声感や対位法的なアプローチが、ミルト・ジャクソンのブルージーで温かみのあるソロと絶妙に融合しました。

また、ステージ・マナーにも独自性があり、全員がタキシード姿で整然と登場。観客に「ジャズ=夜の酒場の音楽」というイメージではなく、「芸術音楽」としてのジャズを印象づけたのです。

当時のジャズ・シーンにおいて、これはかなり大胆な挑戦でした。

MJQの名盤『Django(ジャンゴ)』

MJQを語るうえで外せない名盤が、『Django』(1954年録音)です。

表題曲は、前年1953年に他界したギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトへのトリビュート。叙情的なメロディと清楚な響きが、まさに室内楽のような格調を漂わせています。

この時期、MJQはまだビ・バップの要素を残しつつも、すでに独自のサウンド構築へと歩みを進めていて、アルバム全体を通して、4人が一体となって機能するグループ・コンセプトが感じ取れる作品です。

おわりに

ハード・バップ全盛の中、MJQはあえて派手なソロ合戦を避け、構築美と上品さを武器にジャズの新たな地平を切り開きました

その姿勢は、現代の室内楽的ジャズやヨーロッパ系ジャズにも通じているように感じます。

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