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『ゲッツ/ジルベルト』は世界的なボサノヴァ・ブームになったアルバム

JAZZあれこれ

どうも、ズワイガニです。

世界的なボサノヴァ・ブームの火付け役となったアルバム『ゲッツ/ジルベルト』をご存知でしょうか?

今回は、『ゲッツ/ジルベルト』を紹介します。

 

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『Getz/Gilberto(ゲッツ/ジルベルト)』とは?

テナー・サックス奏者、スタン・ゲッツとブラジルのボサノヴァ(ギター・ボーカル)奏者、ジョアン・ジルベルトの連名で1963年にレコーディング、翌64年に発売されたアルバムです。

メンバーは以下になります。

  • スタン・ゲッツ(ts)
  • ジョアン・ジルベルト(g,vo)
  • アントニオ・カルロス・ジョビン(p)
  • トミー・ウィリアムス(b)
  • ミルトン・バナナ(per)
  • アストラッド・ジルベルト(vo)

 

いろんな音楽と融合させるスタン・ゲッツ

この1年前にチャーリー・バードとレコーディングしたジャズ・サンバの作品『Jazz Samba』が大ヒットしたスタン・ゲッツ。

この成功からヒントを得て彼は、いろんな音楽とジャズを融合させて新しい音楽を作っていくことを考えたのではないでしょうか。

ボサノヴァというのは、ピアノ奏者のアントニオ・カルロス・ジョビンが作り上げました。

彼は名作曲家でもあり、『イパネマの娘』も彼が作曲しています。

ジョアン・ジルベルトもまたボサノヴァのギターに合わせて歌うスタイルを確立させた人なのですが、そこにスタン・ゲッツが目をつけて、ジャズとボサノヴァを融合しました。

スタン・ゲッツがボサノヴァをちゃんと理解していなかったと言われていて、レコーディングでは、いろいろあったみたいですが(笑)

 

夫の付き添いだったアストラッド・ジルベルト

1曲目の『イパネマの娘』と5曲目の『コルコバード』は夫であるジョアン・ジルベルトの付き添いで来たアストラッド・ジルベルトが歌っています。

彼女は、当時22歳の主婦でした。

レコーディング当日、たまたま歌ったところ、あまりに出来がよく、そのままレコーディングしたという伝説があります。

しかし実際は、彼女自身による売り込みがあり、英語で歌える彼女に商業的価値を見出したプロデューサーが「飛び入り参加のハプニングであった」とする筋書きを描いたと言われています。

※ジョアン・ジルベルトは英語が話せず、全編ポルトガル語で歌っています。

その後、『イパネマの娘』のシングル・バージョンでは、プロデューサーの判断でジョアンのパートをカットし、アストラッドが単独で歌っている形に編集されることに。

そして、アストラッドはこれを歌ったことで、爆発的に売れて大スターになり、結果的に自立してジョアンとは離婚してしまいました。人生って面白いですね(笑)

『イパネマの娘』シングル・バージョン↓

 

おまけ

スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトはこの後、カーネギー・ホールで公演を行い、それがライブ・アルバムになっています。

『ゲッツ/ジルベルト#2』として発売されていますが、この公演は両者が自分のバンドを連れてきての演奏だったそうです。

1976年に『ゲッツ・ジルベルト・アゲイン』が発売されますが、こちらは今回紹介した作品同様、ガッツリコラボしたアルバムになっています。

 

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