こんにちは、ズワイガニです。
前回は起源となるニューオーリンズでのジャズを記事にしました。
今回はニューオーリンズからシカゴへジャズシーンが移ったころについて説明します!
スウィングの始まり、シカゴ。
1920年代になり、アメリカ南部、ニューオーリンズの歓楽街は閉鎖され、禁酒法の時代になると、ジャズミュージシャンは活動の場を移すようになります。
そして、次にジャズシーンの中心地となったのが、アメリカ北部にあるシカゴでした。
禁酒法でお酒が買えなくなった中、シカゴを拠点としたアル・カポネらイタリア系ギャングは秘密酒場(スピークイージー)を経営して莫大な利益を得ていました。
そして、そこはジャズミュージシャンの活動の場にもなっていき、大勢のミュージシャンが集まっていったと言います。
その活気は音楽的にも変化を与え、より技巧的になり、それは『ビッグバンド・スタイル』として定着していきます。
※ビッグバンド・スタイル:10〜20人ほどの大編成で演奏するスタイル。モダン・ジャズ以降の小編成で演奏するスタイルをコンボ・スタイルという。
そう、スウィング・ジャズの始まりです。
スウィング・ジャズ
スウィング・スタイルは、ベース、ドラム、ピアノ、ギターなどのリズムセクションとトランペットやサックスなどのホーンセクションで編成されていて、この形はモダン・ジャズと変わりません。
つまり、スウィング・ジャズはモダン・ジャズの原型となっているわけです。
原型となっていると言ったのは、当時はまだコード進行が多様化していなくて、アドリブも複雑ではなかったからです。
しかし、2ビートが中心だったジャズが4ビートに変わったのがこのころ。
※以後、ジャズの主流は4ビートです。
アドリブソロが確立されたのもこのころでした。
この大変革をやってのけたのが、サッチモことルイ・アームストロングなのであります。すごー!!!
当時、スウィング・ジャズはダンス音楽として人気を博していて、ラジオでアメリカ全土に放送されて大衆化を果たしました。
そして、ジャズミュージシャンはラジオ局の多いニューヨークに集まるようになっていきます。
ちなみに、サッチモも1924年にニューヨークへ進出しています。
スウィングの名演『シング・シング・シング』
スウィングの王様と言われている人物がおります。
その方はベニー・グッドマン。
シカゴ生まれのクラリネット奏者です。
数々の楽団に参加後、ニューヨークに本拠地を移し、自らの楽団を持ちます。
人種差別が激しかった当時、黒人ミュージシャンを積極的に雇う第一人者だったことで知られています。
彼はクラシックの殿堂であるカーネギー・ホールで初めてジャズコンサートを行い、成功を収めています。
そこで演奏され代表曲となったのが、『シング・シング・シング』です。
上野樹里主演の『スウィングガールズ』で演奏されていたアノ曲ですね。
勢いよくドラムから始まるこの曲は、歌手でトランペッターであるルイ・プリマが作曲し、スタンダード・ナンバーになりました。
この録音↑は当時ベニー・グッドマンの楽団に所属していたジーン・クルーパさんの延々に続くドラムソロが聴きどころ。
ジーン・クルーパさんはドラム史に名を刻むぐらいかなりすごい人で、レッド・ツェッペリンやキスのドラマーに影響を与えているそうです。
ベニー・グッドマンのおかげでクラリネットソロでもおなじみとなったこの曲の元祖をぜひ聴いてみてくださいね!
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