ここはとある町の喫茶店。
レコードを聴きながら今日もマスターはつぶやく。
【4コマ漫画】喫茶店マスターのつぶやき11
『Maiden Voyage(処女航海)』の解説
1960年代ジャズの黄金期を語るうえで欠かせない作品のひとつが、ハービー・ハンコックの『Maiden Voyage』です。
1965年にブルーノートからリリースされたこのアルバムは、タイトルの「処女航海」という言葉が示す通り、海や冒険といったテーマを持ちながらも、モダンジャズの枠組みを飛び越えた独特のスケール感を持っています。
録音当時、ハンコックはまだ24歳(同年4月で25歳)という若さでしたが、すでにマイルス・デイヴィスの「第二期クインテット」の一員として活躍し、作曲家としてもプレイヤーとしても頭角を現していました。その勢いのまま生み出された『Maiden Voyage』は、若きハンコックの実験精神とセンスが詰まった一枚といえるでしょう。
冒頭を飾る表題曲『Maiden Voyage』は、海原をゆったりと進む船を思わせるリズムと和声が特徴です。ロン・カーターのベースとトニー・ウィリアムスのドラムが作り出すゆるやかな波に、ハンコックのピアノが静かに揺れ、そこへフレディ・ハバードのトランペットとジョージ・コールマンのテナー・サックスが潮風のように旋律を乗せていきます。全体として激しい盛り上がりは少ないのですが、聴いているとじわじわと海の奥行きや神秘を感じさせる、不思議な没入感があります。
続く『The Eye of the Hurricane』は、一転して緊張感あふれるアップ・テンポのナンバーです。タイトル通り台風の目をイメージした曲で、複雑なコード進行と鋭いソロが繰り広げられ、メンバー全員が高い技術をぶつけ合うようなスリルに満ちています。ハンコックのピアノもただ美しいだけでなく、時に鋭利で知的なフレーズを連発し、リーダーとしての存在感を強く示しています。
3曲目の『Little One』は、静謐で内省的なバラード。同じ年の1月に録音されたマイルス・デイヴィスの『E.S.P.』にも収録されており、ここでの演奏はより繊細で、ハンコックの詩的な一面が際立っています。ハバードのトランペットは柔らかく歌うようで、曲全体に漂う淡い光のような雰囲気が魅力的です。
アルバム後半の『Survival of the Fittest』は、やや実験的な色合いが濃く、緊張感あるテーマとリズムの揺らぎが印象的です。ここでもトニー・ウィリアムスのドラムが炸裂しており、彼の若さゆえのエネルギーがバンド全体を突き動かしています。
ラストの『Dolphin Dance』は、ハンコックの代表曲のひとつで、滑らかで流麗なメロディが印象的です。イルカが海面を跳ねる様子を思わせる曲で、自由さと透明感を兼ね備え、アルバム全体を見事に締めくくっています。
このアルバムは、ハンコックが編曲家・作曲家としての才能を本格的に示したアルバムでもあります。ブルーノート特有のクールで都会的なサウンドに、海や自然をテーマにした詩的なイメージを重ね合わせるというコンセプトは斬新で、聴く者に深い余韻を残します。
また、この作品には、「ハード・バップからモード・ジャズ、そして新しい方向へ」という1960年代ジャズの変化が凝縮されており、時代の空気そのものを体感できる点も大きな魅力です。
若き日のハービー・ハンコックが未来へと漕ぎ出した記録、『Maiden Voyage』。半世紀以上が経った今もなお、その航海は聴く人の心を揺らし、新たな発見を与えてくれます。
4コマ作者
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商業誌での受賞経験あり。
約1年間Web連載の漫画原作(ネーム担当)経験あり。
2019年よりフリーで活動中。
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