どうも、ズワイガニです。
早速ですが、『ラウンド・ミッドナイト』という曲を知っていますか?
この曲は言わずと知れたジャズのスタンダード・ナンバーです。
今回は、『ラウンド・ミッドナイト』を紹介します!
ラウンド・ミッドナイト?ラウンド・アバウト・ミッドナイト?
『ラウンド・ミッドナイト』は、正式な曲名が定まっておらず、微妙に違うタイトルで呼ばれたりします。
『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』と呼ばれたり、英語表記だと『Round About Midnight』や『Round ‘Bout Midnight』、『Round Midnight』などなど。
作曲者であり、ジャズ・ピアニストのセロニアス・モンクが自身のアルバムでも表記がバラバラだった曲名を1957年以降『ラウンド・ミッドナイト(‘Round Midnight)』で統一していることから、多分今は『ラウンド・ミッドナイト(‘Round Midnight)』と表記することで問題ないと思われます。多分。
作曲者はセロニアス・モンク
先ほど記述しましたが、作曲者はセロニアス・モンクです。
あの独特なピアノを弾くジャズ・ジャイアントの一人ですね。
モンクは、ビ・バップが勃興する前に行われていたジャム・セッションに参加していた古参プレイヤーです。
しかし、ビ・バップの時代になると、独特な奏法であるモンクはスピードを競うようなビ・バップの演奏にはなかなかお呼びがかかりませんでした。
仕事がなかったモンクは曲をひたすらに作り、『ウェル・ユー・ニードント』などスタンダード・ナンバーを残しています。
この時に作られたのが、『ラウンド・ミッドナイト』であります。
1944年に発表され、以降自身も度々レコーディングしていて、ビ・バップのスターであるディジー・ガレスピーをはじめ、数々のプレイヤーに演奏され、スタンダード・ナンバーとなりました。
マイルスの運命を変えた『ラウンド・ミッドナイト』
この曲には、マイルス・デイヴィスの運命を変えた名演と言われるエピソードがあります。
1955年7月16日〜17日に行われた『第2回ニューポート・ジャズ・フェスティバル』でのことです。
当初、マイルスは呼ばれていなかったものの、演奏に華が欲しいと考えたプロデューサーのジョージ・ウェインが直前にマイルスにオファーを出しました。
メンバーは、セロニアス・モンク(p)、ズート・シズム(ts)、ジェリー・マラガン(bs)、パーシー・ヒース(b)、コニー・ケイ(ds)からなるオールスター・クインテット。
2日目のトリの3曲目から司会のデューク・エリントンに紹介され、マイルスが加わります。
そして、次の4曲目に演奏するのが、『ラウンド・ミッドナイト』です。
この時、マイルスはモンクとのデュオで、テーマからトランペット・ソロまでを吹いています。
デュオで演奏したという事実だけでジャズ・ファンはご飯3杯いけるのではないでしょうか。
なぜかと言いますと、モンクとの共演は前年に行われたクリスマス・イヴでのレコーディング以来です。
クリスマス・イヴでのレコーディングといえば、マイルスがモンクに「俺のソロ・バックでは弾くな」と言って話題になったアレです。
2人の間には何もなかったと証明するかのように素晴らしい演奏を見せたマイルスは、「いつもと同じように吹いただけなのに、すごい拍手をもらった。」とのちのインタビューで語っています。
マイルスはレコーディングとライブでこだわりが全く違うのではと思わせるエピソードだと感じますね。
この演奏は、マイルスがコロムビアと契約を結ぶきっかけとなります。
この曲を聴いたコロムビア・レコーズのプロデューサーは「『ラウンド・ミッドナイト』を聴いて、次で最後の曲である『ナウズ・ザ・タイム』が終わるまでに、私はマイルスの楽屋に向かっていた。」と言っています。
ジャズ専門ではない大手レーベルであるコロムビアと契約することは、当時とてもすごいことだったんじゃよ。
そして、移籍第1作目としてリリースされたのが、『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』になります。
‘Round About Midnight
リリース日:1956年
レコーディング・メンバー
- マイルス・デイヴィス(tp)
- ジョン・コルトレーン(ts)
- レッド・ガーランド(p)
- ポール・チェンバース(b)
- フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)
コメント