どうも、ズワイガニです。
ソニー・ロリンズという、豪快な演奏でビバップ時代から活躍したテナー・サックス奏者のジャズ・ジャイアントがいます。
そんな圧倒的で気持ちの良い演奏とは裏腹に、実はとてもデリケートで求道者的な一面を持つ彼は、キャリアの中で数度の「雲隠れ(長期の休養期間)」をしたことでも知られています。
彼の有名な雲隠れは三度ありますが、今回はその中から「一度目の雲隠れ」についてご紹介します!
デビューから順調だったソニー・ロリンズ
ソニー・ロリンズがプロのテナー・サックス奏者としてデビューしたのは1949年のこと。
1950年にはトランペットのマイルス・デイヴィスと出会い、1951年からは度々マイルスのリーダー・セッションに参加するようになります。
また同時に、名門レーベルのプレスティッジと契約を結び、自身のリーダー作も吹き込み始めました。
ここで、若き日のロリンズが参加したマイルスの重要なアルバムをご紹介します。
Dig / マイルス・デイヴィス (1951)
この作品は、ビバップからハード・バップへの移り変わりを告げる歴史的な名盤です。
ソニー・ロリンズをはじめ、アルト・サックスのジャッキー・マクリーン、ベースのチャールズ・ミンガス、ドラムのアート・ブレイキーなど、後世に名を残す錚々たるメンバーが参加しています。ロリンズの若々しくも力強いテナー・サックスが存分に味わえます。
このように、若くして実力を認められ順風満帆のように見えるロリンズですが、1954年11月から約1年間にわたって突如活動を休止してしまいます。
一体、彼に何があったのでしょうか?
最初の雲隠れの理由
活動休止に至った理由は、当時のジャズ界に蔓延していたドラッグの問題でした。ロリンズ自身もこれに手を染めてしまい、「自分を見つめ直して悪習を断ち切るための休養期間が必要だった」と、後のインタビューで語っています。
当時のジャズメンは、憧れのチャーリー・パーカーの真似をしてドラッグに手を出してしまう人が少なくありませんでした。
この頃、彼はニューヨークを離れていました。リハビリセンターがケンタッキー州のレキシントンにあり、そこで治療を受けた後、ジャズの中心地であり誘惑の多いニューヨークには戻らず、シカゴへと移り住む決意をします。
シカゴでの生活は、郵便配達などの肉体労働で生計を立てながら、ひたすらサックスの練習に打ち込むというストイックなものでした。
ニューヨークにいた頃は毎晩のようにライヴやレコーディングで多忙を極め、自分のプレイを深く追求する時間が持てなかったため、あえて第一線から退き、基礎から徹底的にやり直したのです。
この「とことん自分と向き合う姿勢」こそが、後の大巨匠ソニー・ロリンズを形作る重要な要素となります。
そして、復活の時
シカゴに移り住んで1年ほど経った頃、心身ともに健康を取り戻し「そろそろニューヨークに戻ろうかな」と考えていたロリンズは、シカゴにツアーでやって来たあるバンドのライヴを見に行きます。
それが、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった「クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテット」でした。

実際に彼らのライヴを見たソニー・ロリンズの感想は、「演奏は野心的で、グループとして個性的なサウンドを持っていて、本当に素晴らしかった!」と大絶賛じゃったそうじゃ!
実はこの頃、「クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテット」は、メンバーのテナー・サックス奏者、ハロルド・ランドのことで大きな問題を抱えていました。
ハロルドの奥さんが妊娠しており、「家にいてほしい」と懇願されていたのです。家族を取るか、絶好調のバンドでのツアーを取るか・・・悩み抜いた結果、ハロルドはツアーの途中でバンドを辞めてロサンゼルスの家族の元へ帰ってしまいます。
バンドがサックス奏者を失い困っていたこの絶好のタイミングで、彼らの前にひょっこり現れた1人の男がいました。
そう、ソニー・ロリンズです。まさに奇跡のタイミングでの登場でした。
ロリンズはニューヨーク時代からドラムのマックス・ローチと共演経験がありましたし、マックス自身もロリンズがドラッグを克服し、シカゴで一からやり直そうとしていることを知っていました。
また、ロリンズにとっても、憧れのチャーリー・パーカーと数々の名演を残したマックス・ローチはアイドル的な存在でした。そのため、マックスからメンバー加入を打診されると、喜んでそれを受け入れます。
当初は「ニューヨークに戻るまでの間だけ」という一時的な参加のつもりだったロリンズですが、バンドの音楽性の高さに惹かれ、結果的に天才トランペッターのクリフォード・ブラウンと、ピアノのリッチー・パウエルが不慮の交通事故で亡くなる1956年6月まで、この最高のクインテットに在籍することになります。
Sonny Rollins Plus 4 / ソニー・ロリンズ (1956)
こちらは、ロリンズがこのクインテットに加入した後に録音された名盤です。
名義上はソニー・ロリンズのリーダー作ですが、バックを務めているのはクリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテットの面々(ブラウン、ローチ、パウエル、そしてベースのジョージ・モロウ)です。
悲しいことに、この録音の約3ヶ月後にブラウンとパウエルは事故でこの世を去ってしまいます。彼らが亡くなる直前に吹き込まれた、奇跡のように輝かしいハード・バップの最高峰の演奏が収められています。
おわりに
いかがでしたでしょうか。今回は、ソニー・ロリンズの「最初の雲隠れ」についてご紹介しました。
順風満帆に見えた天才が挫折を味わい、誘惑の少ない環境で郵便配達をしながら黙々とサックスの基礎練習に励む・・・。彼がいかに真摯に音楽と向き合っていたかが伝わるエピソードですよね。
この苦難と努力の時期があったからこそ、彼は完全復活を果たし、歴史に名を残すサックスの巨人になれたのだと思います。
ロリンズの雲隠れエピソードは、実はあと2回(有名な「橋」での練習など)あります。それらについても、また別の記事でじっくりとご紹介したいと思いますので、楽しみにしていてくださいね!


