ジャズ・バラード曲『Misty(ミスティ)』はこのように生まれた

JAZZあれこれ

どうも、ズワイガニです。

突然ですが、ジャズのスタンダード・ナンバーである『ミスティ』という曲を知っていますか?

今回はそのエロール・ガーナー作曲のバラード『ミスティ』について紹介します!

スポンサーリンク

『ミスティ』とは?

1954年、ジャズ・ピアニストのエロール・ガーナーが作曲した美しいバラードです。彼の代表曲として知られ、ジャズ・スタンダードの中でも特に親しまれている一曲です。

その甘美でロマンティックなメロディは、ジャズだけでなくポピュラーやイージー・リスニングの世界でも多くの歌手や演奏家にカヴァーされました。

ジョニー・マティスによるヴォーカル版(1959年)はとりわけ有名で、ポップスの分野でもヒット。ジャズの世界を超えて愛される存在となったのです。

作曲者のエロール・ガーナーってどんな人物?

エロール・ガーナーは1921年、ペンシルベニア州ピッツバーグに生まれました。

ピアノは完全な独学で身につけたとされ、譜面が読めないという異色のピアニストでもあります。

1944年にニューヨークへ進出し、1947年にはあのチャーリー・パーカーのサイドマンとしてレコーディングも残しました。

当時、ジャズ・ピアノの世界ではバド・パウエルに代表されるビ・バップ・スタイルが主流でしたが、ガーナーはそこには組せず、独自のスタイルを貫いています。

この独自のスタイルというのが、『ビハインド・ザ・ビート』と呼ばれる奏法で、ピアノを一方の手の動きにもう一方の手をジャスト・タイミングで合わせるのではなく、タイミングをずらして弾くことで絶妙な間合いを生み出す奏法でした。

主流派から外れたガーナーは生涯自身のトリオを中心に活動しました。

ミスティの誕生秘話

1954年のある日、ガーナーはニューヨークからシカゴへ飛行機で移動中でした。

霧の中を飛んでいる最中に、突如魅力的なメロディが浮かんだといいます。

しかし、上述した通りガーナーは、独学でピアノを習得したため、楽譜の読み書きができず、機内で楽譜を書いて曲を記録できません!

このままでは忘れてしまう!となったガーナーは、シカゴに着くまで、何度も何度も心の中で演奏し続けました。

そして、到着後はホテルにタクシーで直行!ホテルのピアノと借り物のテープ・レコーダーで録音したことで、事なきを得ました。

そして、曲の着想シーンと友人が「霧のようにぼんやりした曲だね」と評したことから『ミスティ』という題名がつけられたそうです。

おわりに

『ミスティ』はその後、多くのミュージシャンたちに愛され、幾多の名演奏が生まれました

ガーナー自身の演奏は彼の揺るがないスタイルと天性の感覚を感じ取ることができる決定版として、今でも高く評価されています。

タイトルとURLをコピーしました