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ソニー・ロリンズ、最初の雲隠れ【54年〜55年の1年間】

JAZZあれこれ

どうも、ズワイガニです。

ソニー・ロリンズという豪快な演奏でビ・バップ時代から活躍したジャズ・ジャイアントがいます。

そんな豪快で気持ちの良い演奏とは裏腹に、デリケートな一面を持つ彼は数度雲隠れ(長期の休養期間を挟む)したことでも知られています。

彼の雲隠れは三度ありましたが、今回はその中の一度目の雲隠れについて紹介します。

 

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デビューから順調だったソニー・ロリンズ

ソニー・ロリンズがプロになったのは1949年。

50年にはマイルス・デイヴィスと出会い、51年からは度々マイルスのリーダー・セッションに参加しています。同時に、プレスティッジと契約を行い、自身のリーダー作も吹き込んでいます。

以下の作品は、ビ・バップからハード・バップへの移り変わりを告げるマイルスのアルバムで、ソニー・ロリンズをはじめ、ジャッキー・マクリーンやチャールズ・ミンガス、アート・ブレイキーなど錚々たるメンバーが参加しています。

順風満帆のように見えるソニー・ロリンズですが、54年11月から約1年間活動を休止してしまいます。一体何があったのでしょうか?

 

最初の雲隠れの理由

活動休止に至った理由は、ドラッグに手を染めてしまい、自分を見つめ直すための休養期間だったと後のインタビューで答えています。

この頃、彼はニューヨークからシカゴに移り住んでいました。

リハビリセンターがシカゴの近く(ケンタッキーのレキシントン)にあり、退院後にニューヨークに戻らず、そのままシカゴに移り住むことに。

シカゴでは、郵便配達をしながら、ひたすら練習に打ち込んだといいます。

ニューヨークにいた頃は多忙で、自分のプレイを追求することができなかったため、基礎からやり直したのです。

 

そして、復活の時

シカゴに移り住んで1年ほど経った頃、そろそろニューヨークに戻ろうと考えていたソニーは、シカゴに来た『クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテット』を見ることになります。

しったかJAZZ博士
しったかJAZZ博士

実際に演奏を見たソニー・ロリンズの感想は、「演奏は野心的で、グループとして個性的なサウンドを持っていて、本当に素晴らしかった!」とのことじゃ。

この頃、『クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテット』は、サックスのハロルド・ランドに問題がありました。

ハロルドの奥さんは妊娠していて、「家にいてほしい」という奥さんを置いて、このままツアーを回り続けるべきか悩んでいました。

悩み抜いた結果、ハロルドはツアーの途中でバンドを辞めてしまいます。

この絶好のタイミングで、バンドの前にひょっこり現れる1人の男がいました。

ソニー・ロリンズです。本当のひょっこりはんです(笑)

ソニーはニューヨーク時代からマックス・ローチと共演していましたし、マックスもソニーが一からやり直そうとしていることを知っていました。

ソニーにとって憧れのチャーリー・パーカーと何度も共演したマックス・ローチはアイドルでしたので、マックスからメンバー加入を打診され、受け入れることにしました。

当初はニューヨークに戻るまでの参加と考えていたソニーでしたが、メンバーのクリフォード・ブラウンとリッチー・パウエルが交通事故で亡くなる56年6月まで在籍しました。

以下の作品は、このバンドの最終作となったアルバム。メンバーが亡くなる直前に吹き込まれた演奏です。

 

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