どうも、ズワイガニです。
マイルス・デイヴィスとセロニアス・モンクはいわゆる喧嘩セッションでバチバチにやり合ったりしていましたが、実際の仲はどうだったのでしょうか?
今回はマイルス視点で二人の関係について取り上げたいと思います。
マイルスがモンクに出会ったころの衝撃
マイルスがジュリアード音楽院に在学中、チャーリー・パーカーにくっついて回っていた頃、ひよっこだったマイルスにパーカーとガレスピーがとりわけ良くしてくれたという。
マイルスは毎晩クラブへ出向き、覚えたコードをマッチ箱の裏に書き留めておき、翌日ジュリアード音楽院の練習室で1日中それを練習していた。
そんな生活だったある日、ガレスピーが紹介してくれたセロニアス・モンクにマイルスは衝撃を受けます。
モンクのスペースの使い方、不思議な響きのコード進行に「何をやっているんだ?」と思ったマイルス。
そして、モンクのスペースの使い方は、マイルスのソロのスタイルに多大な影響を受けたという。
このような出会いから、マイルスはモンクやバド・パウエル、ファッツ・ナヴァロ、デクスター・ゴードンたちと行動を共にすることも多くなり、ジュリアード音楽院に入学してから1年後にはニューヨークのジャズ・シーンでそこそこ知られるような存在になっていったのです。
喧嘩セッションの裏側
マイルスとモンクは、1954年のクリスマス・イヴに最初で最後となるオフィシャルなレコーディングを行いました。
この時のレコーディングが有名な喧嘩セッションと言われるものになります。
マイルスがモンクに「俺のソロの後ろでは吹くなよ」と言い、スリリングなレコーディングになったというアレですね。
このことについては以前記事にしています。
実際は、『ザ・マン・アイ・ラヴ』をリハーサルしていたら、モンクが急に席を立ってしまった。
モンクは勝手に演奏をやめてしまうことが多く、この時もリハーサルの途中でトイレに行ったのだという。
そのままモンク抜きで演奏すると、しっくりいったものだから、マイルスはモンクに『俺のバックではピアノを弾かないように』と伝えたのでした。
後にマイルスはそう伝えた理由を詳しく語っています。
「セロニアスのピアノはホーン楽器、特にトランペットとの相性が悪い。サウンド的に交わらないためだ。俺とはシンコペーションの感覚が違う。だから、バックでコードを弾かれるとスペースが埋められてしまったり、タイミングが狂ってしまったりする。」
また、続けてこのようにも語っています。
「セロニアスのピアノはある面で最高だ。あんなに独特なフレージングと間の取り方をできる奴はいない。」
モンクが気を悪くしたのは事実だというが、レコーディングの成果は上々であった。
マイルスは言った。
「誰が喧嘩をしたと言ったんだ。セロニアスが俺をどう思っているかは分からないが、俺はセロニアスを尊敬していた。その証拠に、その翌年のニューポート・ジャズ・フェスティバルでは一緒のステージに立っているじゃないか。」
おわりに
私が初めてちゃんとジャズを聴いたのは喧嘩セッションでの『バグズ・グルーヴ』でした。
この時のモンクのソロにジャズについて何も知らない私は度肝を抜かれたのを覚えています。
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